ブックタイトルクムレ60年の歩み

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概要

クムレ60年の歩み

第1章水島の地に根ざした保育ていたが、この餅で正月を迎えたという家庭もかなりあったと伝えられている。翌31(1956)年には「社会福祉法人光明会」の設立が認可された。法人名の「光明」は真言宗の「光明真言」に由来する。理事長には浅田弘義氏が就任。理事には浅田増純氏、雨宮茂氏、岡部四平治氏、岡本満忠氏、田プールで楽しい水遊び(昭和35年)渕覚一氏、笠原善右衛門氏、監事には三村友幸氏、田邊銀太郎氏、三沢清志氏が就任した。誰も法人申請の経験がなかったため、すでに法人化をしていた南亀島町の「親和保育園」まで赴き、法人認可の手続きや保育園運営の事務一般のことまで学び、保母が兼務して行っていた。昭和32(1957)年には桃組をさらに星組(2歳児)、桃組(0・1歳児)と年齢別に独立させた。以降保育体制を充実させ、昭和33(1958)年には幼児90名乳児30名の計120名、同37(1962)年には幼児120名乳児30名の計150名とするなど定員を増やしていった。昭和30年代前半は、乳児保育は手探りの状態であり、保育材料・用具が十分でなく、保護者の生活も決して楽な時代ではなかったが、感謝の姿勢に応えて、保母たちも一生懸命に保育に取り組んだ時代だった。保護者と保母の連帯感や助け合いなど、人情厚い時代の保育だった。昭和20年代?昭和50年代前半オート三輪の行き交う水島商店街(岡山県立記録資料館所蔵)クムレ60年の歩み15