ブックタイトルクムレ60年の歩み

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概要

クムレ60年の歩み

りょうご龍伍氏との絆は深かった。地域の教育や福祉について理想を同じくしていたこともあり、保育園の認可などさまざまな支援を受けた。また水島の住民たちも子どもたちの将来を憂い福祉の向上を願っていたため、保育園開設に向けての協力を惜しまなかったという。このほか有志からも多く寄付を受けた。やがて水島信用金庫にも融資を依八間川東側にはマッチ箱のような住宅がひしめく頼するために赴いた際、弘義氏は水(倉敷市提供安藤弘志氏撮影写真)島信用金庫の初代理事長から「それは素晴らしいことです。しかしあなたは今荷車に大きな荷物を積み込み、峠を越えたいので後ろを押してくれと言っているようなもの。私にはあなたの力が分からない。もし力が足りなかったら荷車は坂道を下がってきて、私も大怪我をしてしまう。まずは自分の力で精一杯引っ張ってごらんなさい。もし引けるようなら、私はいくらでも援助しましょう。立派な保証人がいても、万が一の場合私どもの大切なお得意さんを失うことになります。まずは頑張ってみてください」と、保育園設立への覚悟を問われ、激励を受けた。その言葉に身を引き締めた弘義氏は設立に向けた準備に邁進することでそれに応え、自分たちの進む道を決めていった。弘義氏は水島信用金庫理事長のこの言葉を終生忘れず、事あるごとに述懐していたという。こうして、合計170万円(現在の物価に換算すると約1000万円)を集めることができ、保育園の建設費に充てることになった。もうひとつ忘れてはならないのは、弘義氏の妻である浅田英香氏の存在であろう。昭和22(1947)年に結婚して以来、常に夫である弘義氏を支えてきた。保育園を始めるにあたって、一番最初に相談を受けたのも英香氏である。運営などさまざまな場面で弘義氏を支えていった。一方、保育園での実務経験もあった妹・幸子氏が保育園の設立にあたって実務の手伝いや、さまざまな助言を行った。このように多くの人々の支えを受保育園設立資金の借用書12